はい、だいぶ間があきました。
ありがたいことに、2週間くらい放置していたにも関わらず、毎日そこそこにアクセスをいただいておりました。
「そろそろ次の記事を書こうかな」と思っていたタイミングで山崎和佳奈さんの訃報を目の当たりにし、あまりのショックで、心がめちゃくちゃになりました。
こうなって初めて自覚したのですが、私は息子たちに振り回されて神経をすり減らすうち、自分で思っていた以上に「コナン」への精神的依存を深めていたようです。現実での生活がまったく思い通りにならない中で、「コナン」の世界だけが私を無条件に受け入れてくれる、そう感じていたのかもしれません。(私のコナン狂いは昔からのことだったので、母も旦那も特に気にしていなかった)
なのに、その「コナン」世界においてさえ、「和佳奈さんの死」という残酷な現実を突きつけられ、私は一気にどん底に突き落とされました。
和佳奈さんの声を聞くこともつらくなり、毎週息子たちを付き合わせていたアニメの定時放送を、先週は見送りました。長男から「見なくていいの?」と聞かれて「今週はお休みするわ」と曖昧に答えました。次男はそんな私たちの会話を聞いていたのかいないのか、興味も示さずプラレールで遊んでいました。
あれほど漁っていた「コナン」の関連動画も、ほとんど見られなくなりました。特に和佳奈さんに関するものが増えましたが、「見たくない、聞きたくない」といった気持ちでした。
気持ちを紛らわすため、通信講座の受講や、名刺データ入力のバイトに精を出しましたが、気を抜けば所構わず号泣してしまいそうな状態は変わらず。買い出し中のスーパーでも、ふと和佳奈さんのことを考えてしまい、あふれそうになる涙を必死にこらえることも何度もありました。
家のあちこちにあるコナングッズが目に入っても、コナンの笑顔がひどく空虚なものに見えてしまい、「君の最愛の人はどこに行った?」「いずれ君に「おかえり」と言う人は誰?」と思ってしまうと、そこから涙があふれそうになりました。
岡村さんに失礼なことを考えている、その自覚はあります。でも、どうしようもない。私が25年以上も愛してきたコナンの最愛の人は蘭であり、その声は和佳奈さんのものなのです。この感覚がいつか変わる日が来るかもしれないし、そう願っています。でも、今はまだ無理です。
そんな中で、昨日は映画の応援上映に行ってきました。
正直、気は進みませんでした。私の様子がおかしくなったと感じたか、次男はますます言うことを聞かず、今週はほとんど登校前の身支度も母に任せていました。丁度一昨日、次男が「ランドセルをほぼ空(連絡帳と筆箱以外、教科書もノートも何も入っていない状態)にして帰ってくる」ということをやらかして、私は完全に力が抜けてしまい、昨日の日中はほとんどソファで横になって過ごしました。
そんな状態で、スクリーンに蘭の姿を見て、和佳奈さんの声を聞いて、私はどうなるだろうかと。
どのみちチケットは購入済みだったので、私が行かなくても興行収入には加算されるし。
それでも行ったのは、私自身、今年の映画がとても気に入っていることと、何より長男が行きたがったからです。チケットを取る時点で息子たちには話をしていましたが、長男は今年の映画にすごくハマっており、昨日の帰り道にも「次は前の方の席で観たい」と言っていました。
長男は「お喋りをやめられない」という性質を臨床心理士の先生からも指摘されており、普段から食事中でも喋り倒してしまう子なので、「喋ってもいい上映」は諦められなかったし、長男に観せるなら、私も観ることになる。
次男のチケットも買ってありましたが、改めて聞いてみたら「行きたくない」と言うので、母に預けました。次男はかなりの気分屋なので、これは想定内でした。
結果としては、だいぶ気分が楽になりました。
チケットを取った時に考えていた楽しみ方はできませんでしたが、長男が上映を観ながらいろいろ言うのを「そうだね」「それはどうかな~……」と相槌を打ったり(基本的に、明らかな事実誤認でない限りは息子たちの言葉は否定しません)、千速の活躍に沸き立つ他の観客の様子に、ほっとしたり。
「自分の代わりに怒ってくれる人がいると、怒りが和らぐ」という心理がありますが、昨夜の私は「自分の代わりに熱狂してくれる人に、気分が上向いた」という感じでした。
次回作告知では「和佳奈さーん!」と叫ぶ人が数人いて、叫ぶ元気がある人が、とても眩しく感じました。
ちなみに、応援上映で聞いた掛け声の中で笑ってしまったのが、コナンと千速が浅葱一華のマンションを訪ねたシーンでの「そこのマンション、オートロック?」でした。そこは気にしたことなかった(笑)。


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