「ドラえもん」についてのちょっとしたお節介

先日納品したテープ起こし原稿、フィードバックされませんでした。あれだけ不明マークだらけの原稿でも指摘されないということは、やっぱり誰が聞いても聞き取れない先生だったんだな、とちょっと安心。
 
前回の記事を書きながらちょっと思ったんですが、工藤家って3人とも「その気になったらもっとお金稼げる才覚を持っている」って印象なの、すごいですよね。特に新一は現在、高校生でその気がないから収入がないだけで、能力や資質的にはいくらでも自ら稼げるだろうし。


ところで、姉のところの甥っ子は小学生らしく「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」とかをよく見るようで、先週末にも実家のNetflixでドラえもん(アニメの方)を何話かつけていたので何となく見てたんですが、すげー思ったのが、
ドラえもんって、毎度毎度のび太に不用意にアイテムを渡しては暴走or悪用させてんのな。学習能力ないのかな?
でした。正直、のび太よりもドラえもんにイラついた。
で、「まあ、ドラえもんってそもそもタイムリープもので、エピソードが変わると各キャラの記憶もリセットされる、みたいなスタイルだからかな」といったん納得したんですが、「だったら、そもそもドラえもんの存在に誰も疑問を持たないのはおかしくないか?いったいタイムリープの基準ポイントはどの時点なんだろう?」と思うとちょっと気になって、いろいろ(ってほどでもないけど)調べてみました。
 
私は元々ドラえもんには興味がなく、たまにこうして実家で遭遇したら流し見する程度なんですが。まあ、以前「コナンの予告をどうしてもスクリーンで見たい」という理由で何かの映画を観に行ったことはありますが(笑)。(ドラえもんの公開時期っていつもコナンの直前なので、ドラえもんを観に行けば確実にコナンの予告が流れるので……最近はもっと予告流す作品増えてそうですけどね)
 
というか、そのエピソードでのび太が自分の名前を書き間違えてジャイアンたちに笑われる、というシーンがありましたが、あれは本気でやってるなら、のび太は何かしら障害があると思います。
うちの長男も「まったく解いてなくて0点のテスト」とか持って帰ってきました。もう2年生なので、さすがに先生が慣れて気に掛けてくれるのと、本人もそれは良くないと理解してきたので、あからさまに解いてないやつは今はないですが。なんなら「表面の問題は全部解いてあってほぼ満点だけど、裏面はまったく白紙で0点」とかもあって、見るからに「途中で集中力が切れてやる気がなくなった」って感じでした。といっても、長男には知的な問題はなく、担任の先生からも「知能は全く問題ない、むしろ優秀」と言ってもらってるので、のび太の状態とはまた違うと思いますが。
ただ、のび太が「授業を真面目に受け、テストにも真剣に取り組んでいるにも関わらずいつも0点」なら、問題はのび太自身ではなく周囲の大人の教え方にあるでしょうね。
……もう、自分が「小学生の息子を持つ母」になっちゃってるので、どうしてものび太に対して「保護者目線」で見てしまいます(笑)。
 
話を戻して、「ドラえもんレベルになると、あまり批判もないかな?」と思いながら否定的な意見を探してみると、意外にいろいろあったんですが、「のび太がいちいちドラえもんに泣きつくのが不快」という方がいらっしゃるようで。
これを見て、私は「いや、そもそもドラえもんの存在自体がのび太のためにあるんだから、のび太を助けるのはドラえもんの正当な任務なのでは?」と思いました。のび太の子孫であるセワシが「のび太をしっかり者にすれば、自分は苦労せずに済む」と未来からわざわざ寄越した存在がドラえもんであることは、原作を1ページも読んだことのない私ですら知っている基本設定ですから。
なので「のび太はドラえもんに頼るな」は、そもそもドラえもんの存在意義を否定した意見だと思いますね。のび太に頼られなかったら、ドラえもんは何のために存在するんだ、別に過去に来る必要ないから未来にいればいい、って話です。
 
で、上に書いた疑問、「毎度毎度、自分が渡したアイテムを悪用し暴走させるのび太のことを、ドラえもんは次週になったら忘れるのか?」がちょっと大きくなりました。なぜそれをクローズアップするかというと、「ドラえもんはロボットだから」です。
例えタイムリープ設定がなかったとしても、ドラえもん自体に記憶能力がなければ、次週になったら全て忘れて、「また」迂闊にものび太に不用意に便利グッズを渡して(または奪われて)暴走されて……というギャグを繰り返しても、特に不思議はないですもんね。
 
こう考えてしまうのは、私が「コナン」のファンだからだろうな、と思います。というのも、「コナン」はタイムリープに見えて、作中では確実に時間が過ぎているからです。「コナンは半年にどれだけ事件起きてるんだよ」と揶揄されたりネタにされたりしますね。以前のエピソードと関連するエピソードでは、必ず以前のエピソードを踏まえた反応や展開になります。
なので、「先週のエピソードを忘れているとしか思えないドラえもんの対応」に「これはタイムリープという作品の性質によるものなのか、それとも単純にドラえもん自身の記憶容量の問題なのか?」と、疑問に思ってしまうんだと思います。
 
さらに、昨今のAI技術の進歩を鑑みると、結構リアルに「機械の知能の限界」を考えてしまうんですよね。「そもそも、ドラえもんにのび太を、製作者であるセワシが望む状態に引き上げる力があるのか」と。
過去に戻る理由として「何かの記録を成し遂げる」とかだったら、達成可能性を計算して必要な能力を調整し、「限りなく可能性の高い能力」を与えることはできると思います。しかし「特定の個人を成長させる」となると、これはもう、計算でどうにかなるものではない。そんなことが「能力を付与した機械を送り込む」ことで間接的にできるくらいなら、人と向き合うあらゆる職業の人は苦労してないでしょう。
 
もう一つ、私が恐らく「コナンファンだからこそ感じるであろうドラえもんへの見方」があります。
「コナン」と「ドラえもん」には「同じく国民的人気作品である」という共通点がありますが、私にはもう一つ共通点が見えました。それは、どちらも「主役(厳密に主人公ではなくても作品の顔)がいなくなることが物語のハッピーエンドである」という点です。コナンは、新一に戻る=本来の自分を取り戻すことで、コナンを消し去ることになる。ドラえもんは、のび太の成長によって、ドラえもんが不要な状態となる。これが「最善の結末」であり、同じく国民的作品である「サザエさん」や「クレヨンしんちゃん」などにはないポイントです。
 
ただ、こちらは大きな違いとして「作者が存命で原作の物語が進行中」のコナンに対して「作者が既に亡くなっており、原作は連載終了している」ドラえもんに関しては、この「結末はどうなっているんだろう?」というのが気になりました。
そこで「ドラえもん」の最終回はどうなってるんだろうかとWikipediaで調べてみたところ、掲載誌の都合とかもあって、いくつか「最終回」として扱われるエピソードがありました。
どれも「ドラえもんが未来に帰る」という筋書きであり、どれも「ドラえもんがいなくなる、という現実に対して、これまでドラえもんに頼りっきりだったのび太が奮起する」という内容でした。長い間「ドラえもんにひみつ道具を出してもらうことで問題に対処する」が続いてきたのび太のこと、やはり「ドラえもんとの別れ」というショック療法がなければ成長できない、というのも仕方ないものなんでしょうね。
 
ただ、その「最終回」の一つは、私、アニメで見たことあったわ。最後に「事情が変わって、また一緒にいられるようになった」ってなってた気がするけど(というか、確実にそうですね。そうでないと番組自体が本当に終わってしまう)。
高確率で実家のNetflixで見ているので、つまりは既に放送済みのエピソードの中に「最終回」があったと。
……ファンでもなんでもない私が言うのもなんですが、原作の「最終回」を最終回以外のエピソードに使うのは、やめたほうが良かったんじゃないかなー。というか、同じ小学生男子を子に持つ立場として言わせていただくなら、「できればアニメの最終回では、1カ月くらい前からのび太が成長する姿を描いて、旅立つドラえもんを笑顔で見送り、「もう大丈夫だよ」と言わせてあげてほしい」と思います。できればショック療法ではなく、本当に「ドラえもんと二人三脚で、本当に成長した後で」それをやってあげてほしいな、と。
まあ、「ドラえもん」のアニメ最終回なんて、今のところ想定されてないと思いますが。
 
小学生の息子を持つおばさんの、ちょっとしたお節介の話でした。

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