解釈違いの辛さよ……

なんか、「人付き合いが苦手なだけで、これほど職場って居づらいのか」と思う日が続いています。
私は元々あまり社交的ではなく、人の輪に入るのは苦手なほうなんですが。先日、看護師さんの不注意で伝達がなかったちょっとした情報に気付かず患者さんに応対したら案の定ズレたことをしていて、それを先輩に「間違えてるね」とすぐそばで噂されたんですが。
いや、なぜ私が笑われる?メモを忘れた看護師さんのせいよね?(大したことじゃないので責める気は全くないですが)
いつまでたっても出勤の時にえらく緊張するのも、「ミスったら容赦なく怒られる、しかし気軽に質問できる雰囲気でもない」からなんですよね。直接注意してくれる社員さんはまだましなほうで、嫌われてるわけでもなさそうなのに最低限の返事すらしてくれない先輩はいったいどういうつもりなのか……。
これで先輩たちに「いつまでたっても覚えが悪く、おどおどしている」とか評されていたら最悪ですね。あなた方の接し方がやたら言葉足らずで高圧的だから、こっちは常に緊張MAXで余裕がないんだけど。


今回の映画、ファンから騒がれているいくつかの要素について、私は「解釈違いって怖い……」と思いました。
まず、「サメとイルカ」の話。
原作31巻において、こんな場面が出てきます。

明るく人気者の蘭をイルカ、自分をサメに例えて「とても蘭にはかなわない」と言っている場面です。
これを根拠に、コナンや灰原が使う水中スクーターにサメ、カメ、イルカの頭がつけられる、という設定が考案され、コナンたちが泊まるホテルのエントランスに置かれたイルカ2匹(+カメだっけ?)のオブジェから、エンディングでコナンがお土産として買ったイルカ3匹のオブジェにつながり、「哀ちゃんもイルカになれたんだね!」と喜ぶファンの声が結構あります。
しかし、私はその意見を見た時点で「え、イルカにならないと愛されないの?サメは人気者になれないの?」と思ってモヤモヤしました。昨今よく言われる多様性云々じゃないですが、「どうせこの話を使うなら、サメのままで愛されるっていうコンセプトにしてほしかったな」と。そして、なぜそんなふうに思ったのか、やっとわかりました。
 
灰原が「サメ」なのは「意地が悪いから」ではなく、「暗く冷たい海の底(=組織)から逃げて来たから」であり、今回の映画によって、その状況は全く変わっていない、ということです。つまり、組織が壊滅しない限りは灰原は「サメ」のままなのです。だからこそ、私は「サメのまま(=組織の脅威があるままの今の状況でも)愛される灰原」の象徴として、サメを最後まで出してほしかった。


もう一つ、「これ言ってるの、原作ファンじゃないといいな……」とげんなりする意見があります。
ベルモットの行動です。劇中でベルモットは、わざわざ変装して世界各地を回ってまで老若認証を欺き、その理由が「デパートで灰原にお気に入りブランドのブローチを譲ってもらったから」という解釈が定着しています。
私は原作の知識として「ベルモットは幼児化を組織に隠したい」という設定が前提にあったので、当たり前のように「幼児化がバレるとベルモットにとっても都合が悪い、あとコナンに火の粉がかかるかもしれないから」と思っていました。だって、原作でのベルモットって灰原を殺すために執念を燃やしてますもん。
これについては上の「イルカとサメ」と違って現在進行形の話で不確定ですし、恐らく制作陣から明確な答えは出ないでしょうが、問題は原作を読み込んでいそうなファンまでもが「ブローチのお礼にベルモットが灰原を助けた」と疑いなく解釈していそうなことです。
 
いや、ベルモットが「世界で2つだけの宝物」と称するコナンが阿笠邸に泊まり込んで守りに入っても(原作42巻より。蘭によると、着替えまで持ち込んでいてめっちゃ一生懸命だったそう)、どうにかして引き離して殺そうとしていた「シェリー」を、ブローチ一つの恩義で本当に助けると思ってるのか?と。コナンにとって灰原が大切であることは百も承知の上で、ベルモットは灰原を執拗に狙ってきたのに、ブローチ譲ってもらったら殺すどころか助けるの?コナンの思いはブローチ以下ですか?
まあそもそも、そんなにブローチが欲しかったなら気合い入った変装してる間にデパートに行けよ、という話ですけどね。数量限定の先着順の整理券だから、時間との勝負です。顔のマスクはともかく、きっちり和服を着付ける必要なんて全然なかったわけですから。これじゃベルモット、ただのドジっ子じゃん(生粋のアメリカ人が自力で着付けできるのはすごいと思う)……。
 
これ、ベルモットが「コナンと蘭以外の人間は、誰がどうなってもいい」と本気で思っているなら、まだわかります。しかし、彼女は蘭の父親である小五郎をジンが殺そうとしたのを正面から抗弁してまで止めたし、ミステリートレインでも、参戦してきたコナンの母・有希子には手を出しませんでした。灰原を匿い、同居する阿笠博士のこともノータッチです。「彼らの身に何かあったらコナンや蘭が悲しむから」という理由だと私は解釈しています。だったら「コナンの大切な友人になってしまったから、彼女に何かあるとコナンも蘭も悲しむ」という理由で灰原の命を本当に諦めても、別に筋は通るのです。
 
なので、私はこの解釈に大反対です。とあるYouTuberさんは「老若認証が実はボスにとっても都合が悪く、彼女はボスの秘密を守るためにあの行動に出た」と考察されており、そっちのほうがよほど納得できます。映画だけ見ている、ベルモットについて詳しくなさそうな人はともかく、原作をしっかり追ってるような人たちが「ブローチのお礼」説に納得するのはどうなんだろう。
余談ですが、ベルモットってずっとコナンのことを「cool guy(俗語で「いいやつ」らしい)」と呼んでいて、「silver bullet」と呼ぶのは対組織の状況だけだったはずなんですが、いつの間にかニックネームとして「silver bullet」と呼ぶようになっており、ちょっと微妙な気分です。


って思ってたら、監督さんのインタビューでちょっとショックなことがありました。
劇中でキールが活躍した理由について、監督自身が「組織の潜水艦から灰原が脱出するには手助けが必要。それができるキャラクターがキールしかいなかった」と話していました。
え、キールは「哀ちゃん大脱出」のための、ただの駒だったと?他に適当なキャラクターがいれば、キールのあの活躍はなかったということですか?制作陣でキール自身に愛着がある人はいないんですかね?
コナンが取り乱す描写も、本気で「灰原がさらわれたこと」だけの動揺として描いていて、「組織に幼児化を感づかれた、早く手を打たないと自分も蘭たちも危険になる」と思ったわけじゃないのかな。主人公のコナンですら「制作陣が大好きな哀ちゃんがみんなに愛されているとアピールするための駒」になってたということなら、これもちょっとショックです。
そういえば、ラストのキスに関して、コナンは完全に置いてきぼりですね。ベタ惚れしてる彼女に、知り合いとはいえ自分以外の人間が目の前でキスしてんのに、反応の薄いこと薄いこと。
そうか、この映画は「灰原哀のための映画」であり、主人公であるコナンは、彼女を輝かせるエッセンスとして入れただけなのか。
 
そう思うと「え~……」ってなって、明日またリピートしようと思ってたのがだいぶ迷ってます。でも、「名探偵コナンと言いつつコナンは添え物、主役はサブキャラ」って、それこそ私が嫌いな「純黒の悪夢」からずっとなんで、今更「何してくれてんだ!」って怒っても仕方ないんですよね。
さて、「コナンファン」として、私はどう受け止めるべきかしら。

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