「傑作」と「駄作」の意外な共通点

前々からそうだったんですが、「先輩パートのやり方を真似すると社員さんに怒られる」みたいなことがあります。
誰も「そこの標準的なルール」を教えてくれないので先輩のやり方を真似してみたら、社員さんやベテランパートさんに「そのやり方じゃこういう問題がある、やめろ」と言われることがあるんですが、もうトラウマになりますね……。しかも、私が怒られた後もその先輩は同じやり方を続けていて、そっちは注意されない理不尽。
「先輩は慣れてるからそれでよくて、私は慣れないからダメなのか」とは思うんですが、その「いい、ダメ」の境目が私にわからないので、もう何をするにもビクビクになってきました。私にも言い分はありますが、反論する勇気はないです。とにかく私の不覚、不注意、ということにしてひたすら謝っておくのが一番早く済みますもん。


ところで、前回の記事で「紺碧の棺」について語りましたが、よくよく考えると今年の「黒鉄の魚影」とはいくつか共通点があるな、と思いました。なにせ、舞台が「離島からの海底宮殿」と「海洋施設」で、どちらも海に囲まれた環境ですからね。
予告でコナンが海中を進んでいる映像が出た段階で、ツイッター(当時)で「コナンがくわえている物は、「紺碧の棺」で出てきた酸素ボンベでは?」という意見があったのを覚えています。「過去作品のオマージュが多い」というのが売り文句でもあったので、意識して寄せられたデザイン設定かもしれません。
 
しかし、実際に終盤の展開を比較すると、ちょっと面白かったです。
まず、ボンベがないことで丸腰(?)で海水にさらされ、溺死しかけたコナンを見ながら「うわー、この展開、今年見たじゃん」と思いました(笑)。どちらも「いや、お前死ぬだろ」という行動をコナンが取ります。そう、この2作、「うまくいったらコナンが溺死する」という共通点があったんです。
 
ただ、2つの作品には違いがあります。「紺碧の棺」では、阿笠博士が用意してくれた2つのボンベを蘭と園子に譲り、コナン自身は丸腰になったことに、本来気付く人間はいないはずでした。ボンベがいくつあるかなんて、蘭が知るはずがありませんから。それを、以前新一が同じ嘘をついたことを思い出した蘭が察し、コナンが意識を失う寸前でボンベをくわえさせました。
対して「黒鉄の魚影」では、まずはコナンの要請で潜水艦攻撃のために出動した赤井は、コナンの窮地に気付かず退散しました。2人の通信をたまたま聞いた灰原が後を追って潜ったことでコナンは助かりましたが、これは明確に「通信を聞く」という行動が入るので、あえて上の蘭と比較するなら相手は赤井かな、と思います。
(舞台挨拶での情報によると、カットされた部分で赤井の「ちゃんと逃げろよボウヤ」というセリフがあったそうですが、そんなん呟いたところで状況は変わらないのでノーカンです)
こうして考えてみると、「14番目の標的」ではなく「紺碧の棺」のオマージュのようになった気がします。
 
細かいことを言うなら、蘭と園子がさらわれて、恐らく海底宮殿まで連れて行かれ、しかも今でいう「爆弾低気圧」が迫っていて船を出せる時間的猶予がない、という時間のない状況で(実際、さらに後を追おうとした小五郎は荒天に阻まれました)、コナンサイドが用意できたのが小型ボンベ2個だったのは仕方ないといえます。
それに対し、潜水艦の存在を知ってからしばらく猶予のあったコナンが「潜水艦攻撃のサポートとして潜った」はずなのに、小型ボンベと海中ヘッドセット(と海中スクーター)だけを身に付けて潜水し、結局全て流されて溺れたのは、本当にどうにかならなかったのかなぁ。正直、「コナンの花火ボールで潜水艦を照らす」以外に潜水艦の位置を推測できる手段を考えてほしかったです。(恐らくは映像映えを求めてああなったと思われますが)
 
あと、意外なところで「メインキャラがさらわれる」という大筋の展開も一緒でした。
 
「紺碧の棺」公開当時から「蘭と園子を戦闘の相棒として組ませるのは無理がある」という批判があり、私自身もそう思っていましたが、考えてみれば「強い絆で結ばれた2人の女海賊」をモチーフにしようと思ったら、「蘭と園子」意外にはあまり考えられないかな、と思います。他のペアとして思い付く女性2人といえば佐藤刑事と由美さんくらいですが、あの2人をメインに据えるのは、当時のスタンスとしては難しかったでしょう。むしろ、「紺碧の棺」の後に「話の都合でいきなりスキルや設定が生えてくるキャラ」が結構出てきた(わかりやすい所で言うなら「から紅」における和葉のかるたスキルですね)ことを考えると、映画のために「園子がいきなり何かの武術をやり出す」とかにしなかった当時の制作陣からは、キャラに対するリスペクトと愛着が感じられます。
 
話を戻しますが、「紺碧の棺」ではさらわれた蘭と園子が拳銃を向けられ、もう対抗策がない、というタイミングでコナンが駆けつけ、犯人たちを撃退します。
対して「黒鉄の魚影」では、「組織」という作中最強の敵が「組織の秘密を詰め込んで」建造した潜水艦に捕らわれた灰原は、なんとか自力で脱出します。(個人的に、脱出できたのは全てキールのおかげなので、灰原がそのことをコナンに伝え、コナンがキールに感謝するような描写が欲しい所でした)コナンがやったことは、囮用の海中スクーターを携えて迎えに行ったくらいでした。
この辺りに関しては、結構批判もありますね。「「連れ戻す」って言ってたくせに結局は何もやってない」と。否定はできない。

 
まあ、11作と26作ということでご時世も少々変わっており、登場させるべきキャラの数や、何より「かけられる制作費」が段違いだったと思いますので、もはや興行収入などで単純比較はできないでしょう(映画の鑑賞料金や、特殊上映などの環境も違う)。
が、こうしてみると、いろいろ比較できて面白いですね。他の作品同士でもいろいろな比較ができると思います。同じ「ゴッホ」の名前が出たのに扱いがまるで違う「探偵たちの鎮魂歌」と「業火の向日葵」とか、「瞳の中の暗殺者のトロピカルランド」と「探偵たちの鎮魂歌のミラクルランド」の違いとかも、ガチで見てみたら面白そうです。

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